第十五章
「鏡。落ち無くなったわね。でも、まだ、ふらふらよ。剣も抜けないわ。それではね」
「うるさい」
「そうよね。話をしていたら落ちるものね」
「うるさい」
「静お姉ちゃん。変な気配を感じるよ」
天猫は、静と鏡に合わせて楽しそうに笑っているが、小声で囁いていた。
「天ちゃん。分かっているわ。私達に合わせて、気が付かない振りをして」
「天、気が付いている安心しろ」
「うん。そう思っていたよ」
「五匹のようだな」
「そうね」
鏡と静も、気が付かない振りで会話をしているが、時々、囁き声で伝え合った。
「この擬人がああ」
五匹の牛の頭をした者達が、槍を振り回して向かって来た。
「私が弓で倒すわ」
静は、叫び声が聞こえると、弓を手に持った。
「分かった」
「うん」
静は、一瞬の内に背中の矢筒から三本の矢を取り出して右手に持ち、次々と三本の矢を放った。矢は正確に眉間に突き刺さり絶命した。残りの獣は、仲間の獣が亡くなったと分かると、先ほどの殺気よりも目を血ばらせて向かって来る。その様子を見ても平然と又、背中の矢筒から二本と取り出し、即座に放った。
「あっ手が滑ったわ」
「俺に任せろ」
一匹の獣は同じ眉間に刺さったのだが、もう一匹の獣と言うか矢は頭をかする事もなかった。その矢を見て、いや、静の言葉だろうか、鏡は聞こえると同時に駆け出した。
「ひっ」
獣は、一瞬で四人の仲間が倒されたのを分かると、悲鳴のような声を上げながら逃げ出した。振り向かずに走り続けたら助かると思うのだが、後ろからの恐怖があるのだろう。何度も振り返る。矢の恐怖は無い。そう感じたのだろう。一瞬だが笑みを浮かべた。だが、振り返るにつれて、鏡が移動テーブルに乗って向かって来る。もう追いつかれる。そう感じたのだろう。逃げるのを止めて立ち止まった。その時、鏡は移動テーブルから落ちた。
「ぐっふ」
命が助かった喜びよりも、鏡を馬鹿にしたような笑みを浮かべた。獣は、矢の心配をしなくていいからだろうか、振り返る事をせずに逃げ出した。
「何をやっているのよ。逃げられてしまったでしょう」
「鏡お兄ちゃん。何で右から行くぞ。何て叫ぶの」
「・・・・・・・・」
鏡は、何も言い訳を言わなかった。と言うよりも恥ずかしくて言葉を無くしているのだろう。その様子を見て、静が、助け舟のような言葉を掛けた。
「そうだったわね。馬を友と思い、人と同じように馬にも、言葉を掛けながら戦っていたわね。でも、それを直さないと乗って戦えないわよ。はっあー」
静は、心底から疲れたような溜息を吐いた。
「鏡お兄ちゃん。もう、慣れる時間がないよ。直ぐにでも、獣が大勢で来るよ」
「それは、鏡も分かっているから倒しに行ったのだし、でも、失敗したけどね」
「・・・・・・」
鏡は、聞こえない振りをしていた。いや、それとも、移動テーブルを乗りこなす為に、真剣に格闘しているから本当に聞こえ無いかもしれない。
「シャアー」
猫の怒り声のような蛇の威嚇の声が混じった声が響いた。
「来て欲しく無い。大物が来たわ」
「そうだな」
「鏡お兄ちゃん。下がっていて、静お姉ちゃんと二人で戦ってみるから」
「そうね。それがいいわ」
「何だと、俺が邪魔だと言うのか」
「そうよ。今の鏡の状態では邪魔よ」
「計画はどうする。計画が無くても勝てるのか?」
「そんな事を言っていられないでしょう」
「だが・・・」
「なら、鏡と天ちゃんで、囮になって、私が腹に入るわ」
「うっうう。分かった。それしか無いだろう」
「そうだね。静お姉ちゃん。俺、囮になるよ」
話が終わると、即座に、静を頂点として、鏡は右の方向に向かい、天猫は左に向かった。それで、常に三角の間合いを取る考えだ。鏡と天猫で、前と後ろを取る。取れ無くても、三点の内の一人でも相手の隙を取って切り裂く戦いは何度もしていた。だが、今回は、竜には通じ無いだろう。誰かが隙を取ったとしても、移動速度が速く無いと駄目だからだ。始めの予定では、天猫と静が威嚇として常に前後を取り、隙をうかがって、鏡が腹に入り傷を与える。与えた後は、仕上げに静が、炸裂玉を使用して傷を広げる。その考えだったのだが、鏡が役に立たない。それで、傷を与えるのも仕上げも、静が一人でしないと行けなくなったのだ。それなら何故、獣の天猫を使わないのか、そう思うだろうが、幼い天猫しか記憶がないからだ。力量が分からないと役に立たないのもあるが、二人の気持ちでは、まだ、幼い獣と思う気持ちが強いからに違いない。
「まだ、居たのか。威嚇の声を上げれば逃げると思ったのだが、それほど死にたいのか」
「うぉおお」
天猫は興奮を現した。鏡と静は、畏縮した訳では無い。竜が平常心を乱す為に言っているのだろう。そう考えたからだ。だが、竜は殺したく無い。その言葉は本心からだった。
恐らく、竜は、人で例えるなら猫や犬のような愛玩動物と思っているのだろう。まあ、この本心のほうが分かれば、天猫も、鏡と静も怒りを感じるはずだろう。
「ほう、面白い物に乗っておるな。それで、勝機があると感じたのか」
「シャー」
竜は戦う気持ちが無いからだろう。天猫が威嚇の声を上げても、動じる事が無かった。
「どうしたのだ。戦うのでないのか、それとも、戦う気持ちが失せたのなら去れ」
天猫は、何度も何度も威嚇の声を上げ、鏡は、攻撃に出たかったが出来なかった。その場で囮として自分に敵意を向けさせようと、刀を構えたまま鋭い視線を向け続けた。
「去るなら去れ、わしは、追わん」
自分に向かって戦いを仕掛けて来ない為に苛立っているのだろう。だが、竜を知る者がいれば、苛立っているが、それは、殺意で無い。そう判断しただろう。
「逃げる訳ないでしょう。あんたを倒す為に来たのよ」
静は、思案していた。竜が仕掛けて来ないのは、仲間を待っていると結論を出した。このままの状態では、竜の思いの壷にはまる。そう考え、矢を放った。何も行動せずに待つよりは、体に矢が当たれば怒りを感じて向かって来る。そう考えたからだ。
「普通の矢で倒せると思っているのか、戦う気持ちがあるのなら、以前のように炸裂玉を使ったらどうだ。矢に付ければ速度が遅くなる。当たるはずもないが、まだ、戦っていると感じるぞ」
「お前が任せてくれと言ったのだぞ。倒してないのか」
「主様」
「相手が小さく戦い難いのだろう。お前は下がって、船の盾になれ。他の獣達に任せる」
「思った通りだったわね」
静は苦虫を噛み潰した。鏡と天猫は、先ほどと同じく、竜に敵意を向け続けた。
「主様。その指示に従います」
竜が下がり、船を守るように正面に着くと、同時に船の両脇から獣が現れた。その数は何千とは大げさだが数えられない程だ。その獣が三方に分かれ、鏡、天猫、静に向かった。まるで、蟻が角砂糖に向かうような状態だ。
「逃げるのか」
鏡は声を上げたが、獣達の声で消された。いろいろの獣は、殺気を放ちながら叫ぶのだ。親の敵、兄の敵だ。と叫ぶ。その後には皆が同じ事を言う。何故、それ程まで、俺達を憎む。俺達は、誰も来ない森の奥で獣のように暮らしていたのに、何故だ。俺達の怒りが分かるか。もう、理由などいい。今度は、俺達がお前らを殺す。総ての擬人を殺す。これ程の殺気で、大勢だ。何度も、鏡が大声を上げても届くはずが無い。もし届いたとしても、竜は戻るはずも無い。それにだ。もう竜の事などよりも大勢の獣が目の前に来ているのだ。総てを倒すことだけしか考えられなかった。